「飢え」の感覚


最近、ジムに通うようになって、走ったり、とりわけ泳いで帰った後は体がしばらくの間暖かくて血行が急激に良くなっていて、精神的にもすっきりと憑き物が落ちたようになって、アルファ波が出ているのが分かる。


運動をするようになって少し前よりは体の調子が良くなりつつあるのと、食事が美味しく感じるようになったのは面白かった。運動をした後だけではなく、普通に昼を食べる時も食欲が出て、食べ物を美味しく感じるようなった。少し前まで本当に義務的に食べるように食事をしていて、食べるという行為は動物にとって最も本来的な行為の一つのはずなのだから、いかに自分が動物的に不自然になっていたかが良く分かる。


それと仕事の後、11時位まで食事もせずに運動をすると、体の疲労感と空腹感がすごい。そういう時に何か飲み物でも糖分なんかを与えてやった時は、体中が必要としていたものに反応する感覚があって面白い。けれど、本来的に動物というのは「飢え」ている、空腹というのが普通なわけで、人間だって、農業を始めたからといって豊かになったわけではなくずっと貧しくて、近代になってもそれは変わらず、戦後もずっとそうで、こんなにどこへ行っても食べ物で溢れている環境になったのは、ここ半世紀の中の出来事だ。そう思うと、この急激な変化の中で、人間が動物としていかに歪められてきているかを考えると、最近の「未病」とか言われる色んな不調も起こって当たり前のことのように思える。


体の調子が良くないのはいつだって何かのサインなのだから、慢性的に不調なのだとしたら、それはライフスタイル自体が間違っている可能性が高い。そういう時、立ち返る方向はやっぱり動物を参考にすればいいかもしれない。人間ももっと昔は「動物」的だった。豊かでないと明日の食うや食わずの心配をする。それは動物してはとても自然だ。豊かになると食事の心配が要らなくなる。すると将来とか今とか、孤独とか社会とか余計なことばかり考えるようになって、どんどんこっち側の精神世界が肥大していく。


今の日本で都会で生きるということ、動物として生きるということ。その折衷案としてのライフスタイルを模索しないと、人間はどんどん弱っていいくような気がする。