時間の経過


昔の日記を読んでいると、どこも行く当てもなくふらふらと歩き生きてた時間がついこの間のようで、ずいぶん遠い。価値観というのは不思議なもので、環境や状況に揺り動かされ、前は缶ビールではなく瓶ビールに幸せを感じていたのが、今では何でもいつでも買えるのは当たり前になってしまって、小さな幸せは影を潜めてしまったよう。それでも、そういう自分を少し取り戻したくて、ここに戻ってきたのかもしれない。


うまくいかないことが続いて、昔の自分を否定して、とにかく周りに、新しい環境に適応するために自分をかなぐり捨ててやってきて、一つの結果として今の生活があるけど、前よりも日々の生活の充足感は減ってしまったような気がする。僕にとって大事なものって何だったんだろう?


一つ一つの生活。前はもっと感じることができた日々の息遣い。何かを発見するには心と体を落ち着ける必要があって、かつてはそういうことが意識をしなくてもできていたのに、今は日常に流されて、自分に対して雑な生活しかできなくなって、そして、またもっと色んなものを見失っているような気がする。


失う過程が生きるということなのだろうか?でも、そうではないことを色んな人が教えてくれるのに、未だ生活に根付かせることができていない。


もっと深く、「本当に分かる」ということが必要なんじゃないだろうか。インスタントな生活じゃなくて、「本当」がいっぱいある生活。昔は何も持っていなかったけど、「本当」がいっぱいあったから、結構満ち足りて幸せだったような気がする。今は色んなものは手に入ったけど、「本当」のものが少ないね。感覚、息遣い、物音、孤独、静寂の中の音、夏の夜のもったりとした闇、秋の孤独な空気、僕を包む世界。


さて、何から始めよう。