Chill Out


最近の脳科学ブームで『BRUTUS』なんかでも紹介されて、結構メジャーになっている言葉。社会がこれまでの「動的」なものへばかり傾いていた反動として「静的」な物事に興味が向いていて、個人的にもバブルやトランスという激しいものより、エレクトロニカやチルアウトのような静かでポップな流れを歓迎したい。


もとい、この「チル・アウト」というのはテクノやトランスミュージックの亜流として出てきた音楽的な感覚やジャンルのことだったけど、社会が「癒し」を求めるような中で、どちらかというと、その瞑想的な精神状態の方に今では主観が置かれているようだ。


最近、水泳を始めて、会社の帰りや土日はたいていジムに行って、泳いだり歩いたりして帰ってくる。水に2時間くらい浸かって過ごした後は不思議と体が温かくなって、精神的にもほぐれていて、そういう状態で地下鉄を上って裏道を通って帰ると、鈴虫の声がすごくて、こういう状態で自然を感じるのは「Chill Out」な感覚だなって思ったのと同時に、子供の頃、毎日外を駆け回って、夕闇にまぎれるて何も見えなくなる頃に帰る時はいつもそうだったのを思い出した。


今の都会には闇がない。僕の子供の頃には夏でも夕方には真っ暗になって、電灯の合間を帰るのいつも怖かった。脳がリラックスするにははコントラストが必要らしいけど、都会では一つその条件が抜けたことになる。


体もリラックスするにはやっぱりとことん使った疲労感の中にしか本当の癒しはない気がする。ちゃんとした疲労がなければちゃんとした回復はない。体にとっての疲れや、脳にとってのコントラスト、そして自然との対峙みたいなものがチル・アウトの条件なら、昔は人間は日々、自然の中でチル・アウトしていたんだろうと思う。脳も体も疲れた中で自然の中に抱かれていれば、人間は自然と心と体がリセットされて、新しい自分を再構築できたのだと思う。


体を使うことをやめて、昼も夜も明かりの中で暮らし、自然とも分け離れてしまった都会の人間が代替的に色んなところに「癒し」を求めるのは自然とも言えるし、それくらい今の人間の生活が危機的とも言える。