正月は例年と同じく実家に帰って過ごした。29日の夜帰って、結局5日戻ってくる予定を1日早めて4日に戻って来た。


 3日には高校の学年全体の同窓会(卒業10年)があって、ホテルで飲んで、バーで飲んで、この辺りから記憶がかなりあやふやになってさらに焼鳥屋で飲んで、最後はバーで飲んでいて、これ以上飲めないやって所で3時くらいに退散してきた。18歳からの10年の歳月は変わったと言える程同級生達を変えてはいなくて、まぁけど、同窓会なんてそんなものかもしれない。僕らはまだ28でいずれにせよ、まだ渦中でまだ1番ポールも回っていない、ちょうど1番ポールが見えて来たくらいかもしれない。


 けれどそれぞれ10年、何かを選んだ人、選ばなかった人、決めた人、まだ決めきれない人、その月日は実際にそれなりの実体を伴って流れていて、僕らをそれぞれ違う場所へ導いていた。この間、僕は何を選び、どこへやってきたんだろうか?少なくとも然るべき指針を立て、それを目指して生きてこれたような10年では到底なかった。生活に流され、判断をする見識は未熟で、選びきれないまま決断を先延ばしにして、その中途半端さは回りにいた人間を巻き込んで、自分をより悪い方へ追い込んでいって、結局は十代僕が(様々な外圧の中でおそらく自分で選んだ)刹那主義みたいなものの大きなつけを払わされることになった。


 心理学でいうところの「底つき感」なのかは分からないけど、後は残っているものでやるしかった。その時点の自分ができることとを普通に考えて、後は何とかするしかなかったわけだけど、そうした決断はまた僕を全く違う場所へ連れて来た。


 少なくとも僕が10年かけてやっと理解できたのは多分、道理みたいなもの。そのごく普通の物事の成り行きを理解するのに10年の時間とさらに多くのものを費やし、犠牲にしてしまった。仕事や日々の生活に流されていくうちに、そうしたことも忘れてしまいそうになる。そうならないように、初心新たに、また整理して、今年に望まないといけませんね。人は傾向に流される。それを防ぐ手立てとして、色んな知恵があって、とかく、昔の人は偉いね。